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Před téměř sto lety spojily síly Japonsko a Československo v boji proti ruské červené armádě, když japonské vojenské jednotky pomohly zachránit československé legionáře v Sibirii. Tato historie přispěla k přátelství obou zemí, které trvá dodnes. #očesku
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日本とチェコ「百年の友好」 シベリアでロシア赤軍相手に共闘した歴史を連帯の礎に 一筆多論
約1世紀前、日本がシベリアに取り残されたチェコスロバキア軍団を救出し、日本とチェコがロシア赤軍を相手に肩を並べて戦った歴史がある -- 。この事実を今年1月に訪れた首都プラハで初めて知った。
チェコの親日感情を形成した契機の一つは日露戦争だ。アジアの小国とみられた日本がロシア帝国に勝利したことは当時オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあったチェコの人々に独立への希望を抱かせた。
象徴的な存在が「建国の父」トマーシュ・マサリクだ。1918年、偽名旅券で訪日し、独立支持を訴えた。国家として存在していない民族の運動に日本政府が耳を傾け、マサリク率いるチェコスロバキア国民委員会がチェコスロバキア軍団を管轄することを認めた。その意義についてチェコのカレル大学、イジー・ホルプ元教授は、「国際社会におけるチェコスロバキア独立の正統性を高める一歩だった」と指摘する。
同じころ、ロシア赤軍と衝突していた約6万人のチェコスロバキア軍団がシベリア鉄道沿線で立ち往生していた。同軍団の兵士は、もともとオーストリア=ハンガリー帝国に動員されたが、民族意識が高く、第一次大戦では連合国であるロシア軍の一員として戦っていた。その軍団がロシア革命後の混乱でシベリアに取り残されていたのだ。
連合国側の日本は軍団救援のためシベリア出兵を決めた。軍団に武器弾薬を供給し、赤軍と交戦。負傷兵を救護し、日本の船舶でウラジオストクから欧州への帰還も支援した。結果として数万人の兵士が祖国へ戻る道を開いたのである。
敦賀、横浜、神戸では日本政府と日本赤十字社が兵士を保護し、食料と医療を提供した。負傷兵は東京の聖路加国際病院で治療を受け、客死した5人はカトリック府中墓地に眠る。マサリクは日本政府に「欧州の心臓部の民族が、極東の国民とかくも親密な関係を築くとは予見できなかった」と感謝の書簡を送った。
当時の日本は五大国の一角としてチェコスロバキアやポーランド、バルト三国など中東欧諸民族の国家形成を支持していた。軍団救出と帰還支援は、後の日本によるポーランド孤児救出や杉原千畝らのユダヤ難民保護へと連なる人道的外交の系譜の一端でもある。
もっとも、ポーランドで孤児救出が国家的恩義として語り継がれているのに比べ、チェコでは軍団救援の歴史は必ずしも周知されていない。チェコスロバキアは第一次大戦後に独立、第二次大戦後は長く東側陣営に組み込まれた。89年の民主化、93年のスロバキアとの平和的分離を経て今のチェコ共和国が誕生した。
冷戦期には東側諸国の中で対西側の最前線とされたチェコは民主化後、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)との協調を軸に西側志向を強めてきた。ウクライナへの軍事支援やパベル大統領とダライ・ラマ14世との非公式会談は中露の権威主義体制と距離を置く姿勢の表れだ。冷戦期にフロント国家として翻弄された歴史が現実的な安全保障観を育んだ。
日本とチェコには「百年の友好」がある。シベリアの戦場で共に戦った記憶は両国関係の原点だ。この歴史を掘り起こし、語り継ぐことこそが、同志国としての未来の連帯を、より確かなものにするはずである。(客員論説委員).